愛犬が旅立つ時が来たら・・・

思いっきり泣きましょう!

どんなに犬を愛していても、その日を避けることは出来ません。

愛犬が永眠に入る日、愛犬が旅立つ日、です。

どんなに祈っても、頑張っても、必ずこの日は来てしまいます。

この日の辛さは、犬を飼い、暮らし、そしてその日を迎えた人にしかわからない、どうしようもなく悲しい、辛い日となってしまいます。

これを書いている私も、つい思い出して涙が滲み出てしまいます。

もっと、こうしてあげればよかった、なんであんなことをしてしまったのだろう、いろいろなことを思い出し、その日になって気付く、愛犬の愛おしさも加わり、後悔することばかりが頭に浮かび、「ごめんね、ごめんね」と、繰り返し繰り返し、永眠した愛犬に頭の中で語りかけていました。

とにかく、この時だけは、思いっきり泣いてもいいのではないでしょうか。

これは、人間の場合とはまた全く違う次元での悲しみであり、辛さだと思います。

本当に辛くて、悲しくて、どうしようもない、この気持ちを沈めてくれるのは、時間しかない、それが実際のところだと思います。

そして、私の場合であれば、「ごめんね」から「ありがとう」に語りかける言葉が変わってきて、でも、涙は収まらず、動かなくなった愛犬を撫で続ける、そんな時間が過ぎていきました。

この悲しみから抜け出すには、とてつもなく時間がかかります。

でも、仕事など、日常生活に戻らなくてはなりません。

永眠した愛犬のためにも、頑張らなくてはいけません。

悲しみゆえに、仕事や日常生活に支障をきたすようになってしまえば、愛犬はより悲しむでしょう。

ペットロス、これを避けることは至難の業でしょう。仕方のないことだと思います。

でも、少なくとも、愛犬のために仕事や日常生活には、しっかりとした気持ちで戻りましょう。

そして、誰もいないところでは、思いっきり泣きましょう。

必ず、時間が、少しずつ、少しずつ、その悲しみを癒してくれることを信じて。

家族として見送りましょう!

愛犬は人間ではありません。

だから、人間と同じように扱うことは出来ません。

でも、愛犬も家族の一員です。

永眠したときは、悲しくても、辛くても、家族としてこの家に来てくれたこと、そして今迄、家族として一緒に暮らし楽しませてくれたこと、などに感謝の気持ちを持って、見送ってあげましょう。

どうやって見送るか、いろいろと方法はあると思います。

個人的には、火葬にしてあげるのがよいのではないか、と思っています。

火葬して、お骨を骨壷に入れて、お墓をつくってあげてそこに入れてあげるのが一番良いのかもしれません。また、そうしなければ供養にならない、とも言われましたが・・・。

私たちの場合は、その骨壷をなかなか手放すことができません。

本来は、こうするべきではないのかもしれないので、この部分は推奨できませんが、お許しください。

このテーマになると、どうしても自分の愛犬のときのことを思い出してしまいます。

どうするか、よりも忘れないこと、愛犬との思い出をいつまでも忘れずに、思い出してあげることが一番の供養になるようにも思います。

家族として暮らした愛犬は、家族として見送ってあげてください。

旅立つ愛犬のあなたへの気持ちは?

永遠の眠りについた愛犬、旅立った愛犬は、今、あなたに対してどんな気持ちでいるのでしょうか?

見送る立場の飼い主である人間の気持ちとしては、もっとこうしたあげればよかった、ああしてあげればよかった、などなど、後悔する気持ちもあり、犬も同じように思っているのかな、とつい思ってしまいがちです。

しかし、決して愛犬は世話をしてくれた飼い主さんを恨むようなことはないと思っています。

愛犬にとっては、飼い主さんがすべてだったのです。

ご飯を食べるのも、散歩にいくのも、すべて飼い主さんが頼りでした。

犬は飼い主さんの家に迎えられたその日から、永遠の眠りにつくまでのほぼすべての時間を飼い主さん、ご家族とともに過ごし、世話をしてもらってきたのです。

亡くなった愛犬は、そんな飼い主さん、ご家族のみんなに、感謝の気持ちを持っているはずです。

元々、迎えた愛犬は、飼い主さんが選んだようでも、実は愛犬がその飼い主さんを選んでいると、僕は思っています。僕らが愛犬を選んだというより、愛犬が僕らの家族を選んでくれたと。

一緒にいる時間が、わずかだった場合もあるかもしれません。

あるいは、20年ぐらい一緒に暮らしてきたかもしれません。

一緒に暮らした時間の長さにかかわらず、その時間の中で、一生懸命世話をして、愛してくれた飼い主さんたちに、亡き愛犬は感謝していると思います。

そして、見送る僕たちも愛犬に対してしてあげられなかったことを後悔して、悲しんでいる、と同時に、愛犬に対する大きな感謝の気持ちもあふれてくるのではないでしょうか。

この家に来てくれたこと、いつも心を癒してくれたこと、一緒にいて生活を楽しくしてくれたこと、などなど、愛犬への感謝はつきません。

その気持ちを受け止めて、体を亡くした愛犬は、言っているはずです。

「これからはいつも一緒だよ、あなたの心の中でね」、と。

別れではありません。新たな形でのスタートです!

言葉には表せないくらい、悲しくて、辛い、旅立った愛犬との別れ、どう頑張っても、その悲しみと辛さは、簡単には消えません。

いえ、永遠に消えないと思います。

でも、永眠した愛犬は、自分が死んだことによっていつまでも悲しんで辛い毎日を過ごす愛する飼い主さんの姿を喜ぶでしょうか?

絶対にそんなことはありません。

犬としての体は死んでしまっても、愛犬の心は永遠に生きています。

そんな愛犬の心は、早く飼い主さんが、自分が生きていた時と同じように、元気で楽しい毎日を過ごすようになってほしい、と心から思っているはずです。

そう、犬としての体を失うことと引き換えに、愛犬は、心の中で、永遠に消えない存在となったのです。

だから、愛犬の旅立ちは、別れではありません。

当たらな形での、愛犬との生活のスタートなのです。

どこへ行っても、いつまでも、常に愛犬と一緒にいられるようになったのです。

あなたがつい愛犬のことを忘れてしまっても、愛犬はあなたのそばで、またあなたの心の中で、いつもあなたを見守ってくれる存在になってくれるのです。

時間の経過とともに、悲しみや辛さが、少しずつ和らいでくると、永眠した愛犬のことを思い出すことも少しずつ減ってくるかもしれません。

それでも、心の中の愛犬は、あなたが生きている限り、あなたを見守り続けてくれることでしょう。

また、暮らした犬の数が多くなると、旅立つ犬の数も多くなるかもしれません。

でも、その1頭1頭が、すべてあなたのそばに常にいて、見守ってくれているのです。

そして、あなたが永眠したときに、またその愛犬たちと会うことができる、と私は信じています。

ただし、また犬と会うためには、その犬たちに心の中から見守られた生活を、精一杯頑張って生きることが必要だとも思っています。

残した飼い主さんが頑張って、毎日を生きていくために、旅立った愛犬はいつも見守って、時に助けてくれているのですから。

いい加減に生きていたら、自分が死んだときに、先に行っている愛犬たちは、僕を迎えに来てくれないかもしれません。会ってくれないかもしれません。

だから、旅立った愛犬たちのことを思い出しながら、頑張って生きていこうと、僕は思っています。

何かあっても、心の中の愛犬たちが、必ず支えになってくれるはすです。

そして、絶対にまた、愛犬たちと再会したいと思っています。

何をバカなことを・・・、と言われそうですが、僕は本当にそう信じています。絶対にまた会えると。

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