思い出すと今でも涙が止まらない
3年前の今日、まだ日付が変わって1~2時間という真夜中だった。ブーちゃんが旅立ったのは。
黒いトイプードルのぷーちゃん、ぷーちゃんがいなくなることなんて当時全く考えていなかった、というか、絶対に考えたくなかった。でも、それは突然現実となってしまった。
もともと少しメタボで、子宮蓄膿症で子宮を全摘出したりして、体の被毛もほとんど抜けてしまっていて、決して健康体ではなかった。
でも、それでもまだまだ一緒にいられると思っていた。
その少し前から、時々発作のように痙攣することが起きていた。
原因ははっきりとはわからなかった。
でも、その日の前日の診断では脳に腫瘍が出来ているのかもしれない、ということで、症状を緩和する薬をもらったばかりだった。
その時の診断の時は、その直前まで発作のような痙攣を時々見せていたのだが、動物病院では、全くそんな様子も見せず、とてもどこかが悪いようには見えなかった。そう見せなかったと思っている。
だから獣医さんも、その日の夜中に旅立つとは、とても思えなかっただろう。
僕らの話から、脳の腫瘍の可能性を推測して、とりあえずは、この薬を飲ませて様子を見てみましょうということだけだった。その時は、薬を飲めばぷーちゃんの発作のようなものもよくなるかなと、少し期待したのだけれど。
その日の夜、また頻繁にぷーちゃんは発作のような状態を周期的に繰り返すようになった。
そして、次第に発作の時の表情が苦しそうになり、苦しそうな声をあげるようになってきた。
家族みんなでぷーちゃんを抱っこしながら、もうだめかもしれない、との思いが頭をかすめた。
日付が変わってもぷーちゃんの様子は変わらなかった。
そして、その時もぷーちゃんは苦しそうな声をあげた。もうだめかなと瞬間的に感じ、かみさんが抱っこされていたぷーちゃんを僕が抱き上げた。
抱きあげた瞬間、ぷーちゃんの体が、完全に脱力した。ぷーちゃんのからだから暖かいおしっこが流れ出た。その暖かいおしっこがとても愛おしかった。
ぷーちゃんは前進が脱力したまま動かなくなった。
家族全員が泣いた。僕も声をあげて泣いた。信じられなかった。でも、それが現実だった。
でも、これでぷーちゃんも楽になったんだ。と思うしかなかった。でも、とても辛い時間だった。
動かなくなったぷーちゃんをいつものようにベッドに寝かせ、いつものようにぷーちゃんと一緒にベッドで横になって過ごし、ぷーちゃんと最後の朝を迎えた・・・。
今、あの時のことを思い出しながら書いているだけでも、涙が止まらなくなっている。
あの時空いた心の穴は、今でも埋まっていない。
ぷーちゃんに会いたい。
ぷーちゃんは特別な犬だった
ペット・トライアングルとして子犬のネットショップを始めたのが2003年の1月、ぷーちゃんは、ペット・トライアングルを始めてすぐにうちにやってきた。
いわゆる悪徳ブリーダーに騙されて、引き取ってしまった子犬であった。その件については、「実は私も騙されました」の中で書いている。
一度はホームページでも販売する子犬として掲載したが、ケンネルコフにかかり、販売するのを一時的にやめて治るまで面倒を見ることにした。
でもあくまでも一時的に世話をするつもりだったので、名前もプードルのぷー、としたのである。
でも、かみさんはペット・トライアングルでのメールでのお客様対応をしている時もぷーちゃんを抱っこして、寝るときも時々一緒に寝せていたり、で情がうつらないわけがなかった。
ぷーちゃんのケンネルコフが治ったころには、もう僕ら家族全員にとって、ぷーちゃんは絶対に手放せない存在になっていた。
ぷーちゃんは、ペット・トライアングルをはじめて最初に僕ら家族の一員になった犬なのである。
その後、股関節形成不全で出戻ってきたジャーマンシェパードのサラが加わり、さらに親しくなったブリーダーのところに生後半年まで残っていたパピヨンのカノンが加わり、そしてボーダーコリーのブリーダーのところで尻尾の先の白い部分がアクシデントでちょん切れてしまいうることが出来なくなったというボーダーコリーのミルキーが加わり、さらにその後、出戻りのボーダーコリーのハイジ、顔が真っ黒なために売れ残ってしまい、やはり手放せなくなったジャックラッセルテリアのコナンが加わり、
トイプードルのブリーディングをしようとして飼い始めたトイプードルのルンちゃんが加わった。その後、ミルキーの子供の中でマックスが残り、ルンチャンの子供のシナモンが残り、9頭の犬たちを一時は暮らすようになったのであった。
でも、一番最初からいた小さなぷーちゃんは、犬たちの中でも特別な存在であった。ジャーマンシェパードのサラやボーダーコリーのミルキーも一目置く、ボス的な存在であったのだ。
そして、騙されてうちにきたぷーちゃんがいたからこそ、その後、ブリーダーに対する認識を変えて、この仕事を続けることが出来たと僕らも思っているので、ぷーちゃんはやはり特別な存在だったのである。
ぷーちゃが旅立つ2か月ほど前んは、ジャーマンシェパードのサラがやはり旅立っていた。そして、その前年の8月にはボーダーコリーのミルキーが旅立っていた。その時々、とても辛かった。
でも、ぷーちゃんの時はさらに辛かった。
最後の方は、体の毛がほとんど抜けて、薄く泣て地肌がもろに見えるような状態で、はたから見ればみすぼらしい外観だったかもしれない。
でも、僕らにとってはその体がまた愛おしかった。いつも抱っこをせがんで、いつも僕か、かみさんに抱っこされていたぷーちゃん。でも、抱っこしているとぶよぶよしてあったかく、なぜか安心できたぷーちゃん。
また、あの感触を感じたい。でも、もうそれは出来ない。
あの日から今日でちょうど3年。でも思い出すだけで涙が止まらない。まだ止まらない。
3年前、ぷーちゃんが旅立った後は、ぷーちゃんの写真も見ることが出来なかった。見るだけで涙が溢れ、悲しくて、辛くて、何もできなくなってしまうから。
でも、今はプーちゃんの写真を涙なしで見ることが出来るようになってきた。こうやって、当時のことを思い出さなければ。
いつかまたぷーちゃんに会えると信じている
普段、偉そうにいろいろと犬について書いているけど、実はそんな偉そうなことを言える人間ではない。
ペットロスについても書いているけど、僕自身今でもずっしりと、ペットロスを引きずっている。
今年はジャックラッセルテリアのコナンも旅立ってしまった。
でもまだ、最年長のパピヨンのカノン、そしてボーダーコリーのミルキーの子供であるマックス、そしてボーダーコリーの出戻りのハイジ、そしてトイプードルの親子、ルンとシナモンがいる。
だからまだ、救われているのかもしれない。
それでも、もう一度ぷーちゃんを抱っこしたい。そしてサラ、ミルキー、コナンにも会いたい。
虹の橋、レインボーブリッジの話をペット・トライアングルでも紹介している。
僕はこの話を信じている。
今、ぷーちゃんは、サラやミルキー、そして今年から加わったコナンそして、その前の愛犬であったチロも一緒に、僕らを待っていてくれている。
みんなもっとも元気だったころの姿で、草原を駆け回っているはずである。時々ケンカしながら、でもみんな仲間として仲良く、僕らを待っている。
と同時に、ぷーちゃんも、そのほかのみんなも、いつもそばにいると思っている。
犬だけでなく、人間もそうだと思っているが、体がなくなっても、その心、意識は残っていると思っている。
これは、信じたいではなく、そうだと信じている。
だから、もし僕の意識が体から旅立った時には、絶対にまたぷーちゃんに会えると思っている。
だったら、泣く必要なんてない、という矛盾がある。
また会えるのであれば、いまだに思い出して涙が出るのはおかしい、のかもしれない。
でも、そんな矛盾なんて関係ない。
思い出すと涙が出る、でもまた絶対に会える。
そう思っていていいんじゃないかと思う。
今、ぷーちゃんが膝の上で笑ったような気がする。
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